2011年3月25日金曜日

ニシカワサン、カニ食ベ?


李 文義。

中国料理人。

彼との出会いは、2年半と少し前。俺がオーストラリアから帰国した直後、伊豆のホテルで働きだした23歳の頃でした。

もう40も手前。インターシップのような形で中国から日本へ。元々日本語を勉強していたわけではなく、勉強したのは来日の1ヶ月前で。

いつ、何がきっかけで仲良くなったのかは忘れました。初めの頃は日本語の楽しい、嬉しいの意味も分からず、分かる言葉はトマト、魚、寿司、包丁など、料理に関することだけ。英語もできない彼と意思疎通はとても難しく、なんとか分かるように話そうとしたり、身振り手振りで、自分の日本語も片言で話してました。

したい、の「たい」の説明をしたところ、「鯛」と同じことからなぜか、喜び、「たい、たい」を連呼していたのを覚えています。

ニシカワサン、カニ食ベ?
は、西川さんカニ食べる?というお誘いの意味で、一番彼から言われた言葉です。
やたら食べ物を食べ?の誘いは多く、断っても勧めてくる。だから結局折れて食べてました。

文化や国民性の違いで、日本では当たり前、そうするべきだ、という概念は覆され、こっちに対しての配慮がない自己中心的な動きに、たびたび衝突。というかこっちが一方的に怒り、そして向こうは謝らない。そのうちまた話し出す。それを繰り返し。よくもまぁそれでも仲良くできてたもんだと、お互い「人」という面で何か思うところがあったんでしょう。

中国というものに真っ向からぶつかった1年ほどのおかげで、たいていのことは受け入れられるようになりました。

休みが合えば海へ釣りに誘われ、青い空、青い海に釣りに行き、ニシカワサン、ヘタと何度も言われ、
またお手製の中華料理を何度も部屋で食べさせてもらい、莫大な量を作ってくれ、
お腹がいっぱいだと訴えても、まだ食べ?食べ?と勧めてくる。

伊豆で激しく地震が起こり、余震も数日続いたときも、初めこそ怖がっていたものの、
すぐにお気に入りらしい小田和正の歌を陽気に歌う。
意味を知らないまま、「ゆら~ゆら~ゆら~♪」と絶妙なタイミングで歌う。
意味を教えると、喜び、さらに歌う。
今、これを歌っていると不謹慎だと周りから大バッシングをうけるだろうから、歌っていないことを祈ります。

地震と言えば、なぜか部屋で「日本沈没」という映画を共に観ていたときのこと。日本が沈没していってしまう話なんですが、ぽつりと一言。
「ニシカワサン、ダイジョウブネ。」

「何で?」と聞き返すと、

「ワタシ、チュウゴク、イエ、アル。ニシカワサン、ダイジョウブ。」と。

あのときは嬉しかったよ、ほんとに。


実は彼の他にも中国人はあと料理人が2人、日本語の勉強をしている学生が研修で1年交代で6人ほどの入れ替わりもあり、日本人と一緒にいるよりも彼らと一緒にいる方が刺激的だったので、わりと中国まみれだった伊豆のホテルでの生活。

海外に旅に行かれたことのある方は共感して頂けると思いますが、異国の地は大変なことが多く、その中で親切にしてくれたときの嬉しさはこの上なく、その優しさの恩を返す意味でも、日本に来ている外国人には親切にしようと、心がけているところがあって、

だから彼らが何か困っていたら教えたり、話しかけたり、お世話もしたりとしている内に、
他人にはとても無関心でクールな中国の方々ですが、仲間や友達となると一転、情に厚くなんでもしてくれるので、本当に色々とよくしてくれました。

結果、学生たちの自分にとっての弟分、妹分は総勢15名ほど。もうみんな帰国してるのですが、おそらく青島に行けば無一文でもしばらく生きていけるでしょう。

ホテルの息子の、別の料理人の人には、うちのホテルなら何泊でも無料で泊まって良い、そして何かあったら中国の俺のホテルで働けば良いと、誘ってくれ、

先ほどの李さんは2年後、中国に帰ったら家族と中国大陸を旅行するから一緒に行こうと誘ってくれ、お金は一切出さなくて良いよと俺に言ってくれる。


中国に帰ったら、大連で店を出すという彼のお店に、ご飯を食べに行く、というのも俺の一つの夢。


中国。色々言われてますが、本当に彼らはあったかくて良い人たちです。

中国のイメージ。確かに正直あまり良くないし、国民性も自分中心でウルサイ、というところも確かにある気もします。

でも個人的に思うことは、

中国の中の「人」ではなく、その「人」の中に中国がある、この考え方の違いだけな気がします。

国あっての人ではなく、人あっての国。国民性はその人の中の一部。中国人という、国で人を判断するのは本当につまらなく、すべきことではないと。

どこの国でも良い人、悪い人がある。

どんな人でも良いところ、悪いところ、自分にとって好きなところ、嫌いなところがある。

仮に中国の国民性が嫌いでも、その「人」の中の自分にとって嫌いなところの一つに国民性があるだけで、他に好きなところがいっぱいあれば、トータルで「好き」が強ければ、それは自分にとって「好き」な「人」。


そんな中国という文化や習慣、考え方をいっぱいいっぱい教えてくれ、出会えた中国の朋友たちへ、、、
心から、、、真的謝謝。再見。



すぐに会える距離でも会いにいかなかったのは、あたたかくて居心地の良い場に甘えたくなかったからだよ。
この1年は、この地から動かず、見知らぬ土地でただひたすら頑張ろうと心に決めてた。

でももう1年。そろそろ会いに行こうと思う。良いよね?

またハグされるんだろうな、久々だから嬉しいわ。

また青い空に囲まれ青い海を眺めながら釣りをして、釣った魚を料理して食べさせてください。


‥もう一度、、、真的謝謝。

2011年3月22日火曜日

「生」3%-その涙をふいて笑いながらずっとこの地球で暮らしたい-



高市博史。

彼の話は、自分の仲間が綴った「想い」をそのままここに載せさせて頂きます。


‥‥2月24日の日記より。
http://todaysphotophoto.blogspot.com/
前回の日記で紹介したブログ。
実は色々な思いがこめられている。


年末に愛媛に着いて、

仲間の紹介でホテルで働きだした。


そこで一人の青年に出会う。

まだ大学生の、

T君だ。

21歳の車好き。

大学生のその時期ってめっちゃ楽しい時期だと思う。


そんな彼は俺の職場の先輩で、
色々手取り足取り仕事を教えてくれた。

一ヶ月の間だけど、すごくお世話になった。


はたから見れば元気な青年、大学生。

毎日楽しく過ごし、大好きな車を心から楽しんでいる。

笑顔でわかる。

この子、本当に好きなんだなと。

勤務態度も素晴らしくて!!

お客様第一に考えてる。

見習おうとしても、難しいくらい!

凄く尊敬できるし!年下だけど良い先輩だった!!

自分はすぐ横着しますんで・・・


話はとても急で、

勤務二回目の夜中に、

二人でワンセグで録画していた、ぐるナイを見ていると、

急に・・・

なにか思いつめたような顔をして、

そして携帯閉じて笑顔になった。


「どうしたんですか?」

ってなって。

いや、先に話しておきたいことがあると。


と、いいながら自分の人生の生い立ちを話始めた。

聞いていると、

まあ誰にでもあるような。

人を好きになり、葛藤して、そして別れたり。

時にはかけがえのない時間を過ごしたり。

誰にでもある。


そう、

誰にでもあるような・・・


でも、

彼には一つ。


話は去年の夏。

どうやら去年は厄年だったせいか、

色々事件があったらしい。

車で事故ったり、

PC壊れて大事な写真失ったり、

しまいには長い間付き合っていた彼女と別れ。

その辺りから精神的に辛くなったせいか?

胃潰瘍になったらしい。



胃潰瘍のために、それから何度か病院に通うことへ。

ある時、

いきなり、

お医者さんに宣告された。



「T君、ちょっと・・・」


見つかったのはガンだった。


最初は早期発見だと思い。

早く手術を!?対策を!?となって慌てたが、

冷静になり。

いざ手術になって、開いてみると、

もう末期だった。


胃がんの末期。

内臓をつなぐ皮膚?膜?みたいのがあるらしいんだが、

それを伝って転移してしまってて、

手術もできないらしい。


それが去年の8月。

彼はそんな話をいつもお客さんにするような笑顔で俺に話した。


つい笑ってしまった。



それから5ヶ月が過ぎたときに彼に出会った。

あれから1ヵ月。

一昨日入院した。

来月のあたまに皆で香川にうどん食べに行こう!!

って約束したのに。。。



これは会社の仲間以外誰にも言ってなくて。

仲間とはめちゃくちゃ考えた。

毎週やる会議の大半の時間を使って考えた。

今の俺らにできることはないのか??

と・・・

無力さと無知と、

すべて悔やんだ。

でも、

決断した。

悩んでも仕方ない。なら、

俺らが前に進んで楽しく、わくわく、刺激をあたえるのが、

そんなんで生きる事にたいしての力になれたら。

正答なんてないだろう。

けど、一生懸命彼の分まで頑張りたい。


だから、

このブログを作ってみた。
http://todaysphotophoto.blogspot.com/

俺らは人と共にワクワク・ドキドキ・楽しいものを作り上げることをベースに結成したし。

これは会社理念である。

今はヨチヨチ歩きで社会の事とか何もわからないけど、

利益とかどうこうより、

まず人のために、

俺らメンバー五人のできることを毎日最大限やっている。


T君にも毎回俺が夜勤のときに会社の話をしているから、

充分伝わってて、

ホントなら一緒にやりたい!

ってお互い話してて。

あともう少し、時間があれば。



だけど、これからどうなるか正直わからない。

明日ガンセンターにお見舞いに行ってくる。

抗がん剤を使うのを自分で拒否したから、

いつ迎えが訪れるのかわからなくて。

不安になってしまったから、

こうやって日記を書いてしまった。

一昨年自分のおじいちゃんがちょうど今の時期に胃がんで亡くなってるから不安ってのもあるだろう。



話がうまく伝わったか分からないけど、

もし、

彼に対して俺らが何かできるとしたら。

生きた証というと変だけど、

こういう世界もあるんだよ!

元気になったら行こうよ!!

って意味も含めて写真をアップできたらなと。


朝から、
出勤前とかに日記読んで凹ませてすいません。

ただ皆なら助けてくれるかと思いまして。

ぜひとも、

投稿してもらえたらなと思います。

少しでも長く、

そして、たくさん、

皆の気持ちが届けば、

自分をはじめOceansの仲間も喜ぶと思う。

そして暴走して日記を衝動的に書いてすまん。

こちらに投稿アドレス載せます。
aki1030aki.aki1030aki@blogger.com

一日一枚
題名に題名、
写真を添付して(サイズが大きいとダメなときがある)
本文には自分の名前かペンネームを。


もし力になれるのであればお願いします。




‥時は少し過ぎ、3月20日の日記より。

報告。

昨日の朝、

高市くんがお亡くなりになりました。

最後の最後まで戦ったそうです。

運悪く、

夜勤のため今日のお通夜はでれなかったので、

明けでお葬式に参加してこようと思います。


Today's Photo凄く喜んでくれてました。

自分のためにここまでしてくれる人達がいてくれてホント幸せですと。

最後に会ったときに伝えてくれた。

あれから、三週間。

最後にバイト先のみんなで日帰り旅行に行けてよかった。

それが最後の外出で、

最後の思い出になったのかと思うと。

泣けてくる。

まだ実感がわかないけど、

これが現実なんだな。

明日お葬式行ったら直面するんだろうなと。


もうすぐで22歳だったのに。

21歳で逝くなんて、

すげーパンクだよ。

ほんと。


確かに短い人生だったけど、彼なりに楽しんだと思う。



地震でも思ったけど、

人の命って、生きていくのに凄く重要だなと。

当たり前だけど、

こうやって身近な人がいなくなると、

改めて思う。

こうでもしないと意識できないのかもしれない。

それくらいに、

俺にとって震災の死者は遠く感じ、

高市君の死は近くに感じる。

申し訳ない。


もっと、やれることはあったんでは?

と思うのは昔、友人を亡くして以来やめた。


過去の起きたことに対して悔いるのは時間の無駄だから。

俺は前を向いて、考えることにしてる。


関係ないけど、

個人的な人生観をこの機会に語らしてもらう。


学生の頃に、

あるスコットランド人の先生の英会話クラスで、

旅行の話になった。

そこで先生はインドが好きだというので、

ある生徒がなぜですか?と質問した。

すると先生は、

スコットランドに比べて、

インドには想像をつかないくらいの、

100倍のマイナスがあるという。

マイナスというのは、色々なネガティブな現象のことをさす。

しかし、

インドにはスコットランドにいては味わえない、

100倍のプラス。

そう、楽しみや刺激があるという。


なるほどと思い。

それ以来、そういう考え方をするようになった。


その考え方を自分なりに変えたのが、

人の悲しみや痛み・辛さを100倍知ってる人は、

人との繋がりはもちろん、一緒に楽しんだり、素敵なことをしたり、
刺激てきな何かをしたり、その他もろもろ。

とにかく、100倍人生を楽しめるという持論に辿りついた。

でも、

もちろん、

その分、辛い思いもするんだ。

それは因果かもしれんし、等価交換なのかもしれない。

俺はそう思う。

マージャンの神の桜井さんは等価交換を否定してたけど。

俺はある程度、

等価交換だと思っている。

まだ若いからかもしれない。

だから、

いま普通の人、

給料もらって、家族がいて、一日三食食べて、元気に暮らしている人!?

に比べて、

しんどい思いをしているなら、

俺はそれだけの幸せを手に入れる資格みたいのがあると思っている。


でも、そのチャンスを掴むにはとても難しい壁を越えないといけないかもだし、

やはりさらに厳しい道があるんだろうとは思う。



震災のことに触れようと思ったけど。

割愛する。




高市君に会えて良かった。

俺は何もできないから、

彼の分まで一生懸命生きるとする。

俺にはそれくらいしかできないから。

それだけは集中して、

最後まで諦めないで頑張る。

幸い夢も目標も尽きないくらいある。



お葬式で会ったら、

たぶん何もいえないと思うけどさ。


短い間だったけど、

あの綺麗な星空は凄く良い思い出だよ。

あんな綺麗な空と流れ星をたくさん見れたのは久しぶりだった。

たぶん、これから綺麗な空みたら思い出すと思うから。

その時は、また笑顔で現れてきてくれ!

それでは、

おやすみ!


追記
today's photoに参加してくださっている皆様。


世界各国で色々困っている、

困っているというか、

彼みたいに何か力が必要な方々がいるかもしれません。

もし良かったら、

今はまだ小さな種のブログですが、

色々なところへ繋げて生きたいと思いますので、

一緒に盛り上げていってもらえたら幸いです。



‥‥何故これを自分が書いたのか、、、
それは生前、彼はこうも語っていたそうです。「何か、生きた証を残したいな。」って。
だから自分にも何かできることを、と本来であればブログの話もだいぶ前に話はついていたのですが、本当に「生きた証」を記す結果になってしまいました。

このブログを見て誰かが何か感じて、そして何か変わったなら彼の生きた証にほんの少しでも「繋がる」と願いを込めて。

生きられる確率3%、そう宣告されたら、そのとき自分はどう思い、どうするのでしょうか?
3%の確率、ドラマとは違いこれが現実。


最後に生前、彼は本当にHYが大好きだったという話を耳にし、この曲を聞きました。


~絶え間なく光る星達の中、君も一つの星になり、流した涙は潤いを増し
その涙を拭いて笑いながらずっとこの地球で暮らしたい~  HY/涙


今たくさんの悲しい出来事があるけれど、彼らの分まで泣くんじゃなくて、彼らの分まで笑いたい。

輝く星となって見守ってくれているなら、満天の星空に泣き顔じゃなくて笑顔見せたいよな?

だから笑顔でシワが増えていくような、そんな人生を送っていけるよう、「想い」を込めて。

2011年3月5日土曜日

99人右に進むなら、お前は左を進め。


西川 誠一。

陶芸家。

彼との出会いは26年前。
そう、父親です。

厳格で、自分の信念は曲げない方針のもと18で家元を出るまで育ってきました。


夏休み。休みに学校に行くことはない、と登校日を行ったことはありませんでした。

休みは休み。ラジオ体操は行くな、と夏休みのラジオ体操は行ったことがありません。

予防接種なんて必要ない。と学校で予防接種をうけた記憶もありません。


他の人と違うことを強要されているようで、それが幼い頃の自分はただただ嫌で、苦痛でしかありませんでした。


仕事に関しても、何焼とかいう枠に入るのが嫌だからと、自分流を貫き一世一代で立ち上げた陶芸の道。

陶芸一本。営業は全くしない。

割り引きしてくれ、と言われたら、そんなことをするくらいならタダでやると言い、

最近こうゆう焼き方を新しく始めてみたのよ、と陶芸をやって何十年経った今でも、楽しそうに話す、変わった人です。


この家庭環境が他の一般家庭とは違う、特異な環境だと気付いたのはそんなに昔ではありません。

あの頃はこの「家庭」が自分にとっての基準であり、全てだったから。



家はいつも少し見晴らしの良い、高い場所にあって、作業場の窓を開けるといつもそこには素敵な景色が広がっていました。

何時間も何時間もそこに座り、ロクロを回し、

その父親の後ろ姿を眺めながら、大人へと成長していった自分。



「窯」の名前。
今は「東雲窯」、昔は「赤心窯」という名前で陶芸の活動していました。


本当に最近気付いたことがあります。何気なしにずっと耳にしていた「赤心窯」。

ここに全て、父親の「想い」がつまっていたのではないかということに。


真っ赤な情熱を胸に。

成功するかどうかも分からない、一生陶芸で生活できるのかどうかも分からない、だからこそ、自分の胸の真っ赤に燃える情熱を大切にしようと、信じようと、そう思って名をつけたのではないか、と感じます。

よく言っていた言葉。「99人右に進むなら、お前は左へ進め。」


あの頃は、受け入れがたかったこの言葉も、今になってその有難みを感じ始めています。

この道は自分の道。他の顔色や様子を伺って合わせて歩んでいるようでは、自分の本当に望むものも、進むべき道も、信じる道も全て見失ってしまう。

人と違うことを恐れるな。お前の人生、自分の信じる道を突き進めと、それをずっとずっと教えてくれていたように感じます。


この体にはこの人の血が流れています。周りに流されない、信じた道を突き進む、諦めない、確かな「強さ」が。
だからきっと、何があっても「強い」気持ちで乗り越えていける、揺るぎない「強さ」がこの体の中にあるから。

「強さ」の繋がりを感じられるから。


写真は昨年、伊豆のホテルで働いていた頃に、両親を招待し、河津桜を案内していたときの写真です。

あのときのあんなに嬉しそうな顔を、今もずっと忘れられずにいます。



「生」を受けて26年。

時は流れ、「心」も「体」もおかげさまで大きく成長した自分。

その26年間、くる日もくる日もひたすら物を作り続け、

26年経った今も、変わらず景色を眺めながら、ロクロを回している。

あなたのその背中が、僕に本当に人生で大切なことを教えてくれました。


だからしっかり前を向いて、あなたにもらった「強さ」で一歩一歩、この道を信じて歩んでいきます。