2011年4月16日土曜日

男はね、初めから男なわけじゃないとよ。転げまわって、ぶつかって、やっと男になれるとよ。


木下雄大。

喜多屋酒造、営業兼利き酒師。現在NY在住。

1983年11月26日。
福岡県八女市の酒蔵 喜多屋酒造の分家の次男坊として誕生。
小学校のとき逆上がりができなくて、泣きながら母ちゃんと練習をしたのが一番の思い出。

中学時代。中学時代はバスケットボール部で青春の汗を垂れ流し、トレードマークの坊主頭はこの頃から。

高校時代。友達がカナダに留学。福岡空港から泣きながら見送った時、海外へ行くという選択肢が芽生える、と同時に自分も、漠然と将来は海外へ行きたいと思い始める。

大学時代。心理学を学ぶ。ソフトボール部に入部し、酒を飲み、バイトをし友人達と遊びっぱなしの楽しさ溢れる大学生活。



実家が造り酒屋。喜多屋の営業をしている父のかっこ良さに影響され、また友人に影響され、「今」に至る彼。
大学でのこの道を選ぶことになった一つのきっかけから、今に至るまでの「繋がり」までを彼はこう語ってくれました。



「友達が世界一周をして帰ってきた。その体験談はすばらしく刺激的であった。海外へ向けられた願望が再び燃え上がった。

喜多屋酒造の隠し玉、秘密兵器。英語をたくみに操る海外営業のエキスパート・・・


カッコよか!


しかし英語力は何とも言えぬ。TOEIC300点くらいであった。海外へ行って喜多屋酒造の秘密兵器になりたい。秘密じゃなくていいが、修行したい。ということを親父に話すと、
「ほっ!アジア進出しようって考えてたから、ちょうどよか。シンガポールとか行ってみらんか?」と許しを得た。

大学を卒業し、5月にシンガポールへ出発。まずは、英語である。学生寮に入り、英語学校へ入学。先生はアメリカ人のエリック、Mrビーンにそっくりだ。何を言ってるかさっぱりわからん。
学生寮ではタイ人やベトナム人、中国人、ヨーロッパ、アジア諸国から様々なカルチャーを持った学生が集まる。モンゴル人が100人くらい入寮したときもあった。毎日、一緒にバスケをしたり、クラブへ行ったり映画観たり。
3ヵ月後退寮。寮で知り合った友人達(タイ、ベトナム、インドネシア、中国)と一緒にルームシェアして生活。3つの部屋を10人で使用していた。
ハプニングの毎日である。冷蔵庫のケーキが食べられ、私のビールは冷凍庫でカチンコチンになってたりする。
異文化が混ざり合う。
エアコンが大好きなあいつらは家に帰ると16度に設定。常夏のシンガポールはすごく寒かった・・・。その頃には英語を普通に使い始める。

習うより慣れろだ。

学校には9ヶ月通った。TOEICの練習では800点くらい。予想以上に伸びている。練習すればできるようになるもんである。長い休みはアジア旅行に使った。ベトナム、タイ、ミャンマーへ。

仕事を探しはじめる。日本食レストランに就職が決まったがビザがおりない。ビザなしでの滞在はできぬため、マレーシアとシンガポールを行ったり来たり。怪しまれた私は、いかついインド人に囲まれ別室に連れて行かれ日本に一度帰りなさい。と説教され泣く泣く帰国。実家で焼酎を作ったり、日本の酒蔵を見学してまわったり。

4ヵ月後めでたくビザがおり、またシンガポールへ。
ポジションは利き酒師。ソムリエのような仕事である。
3年半働く。そろそろ次のステップへ行こうと思い。アメリカへ行くことが決定。その前に地元の友達と2人でタイとインド旅行。ゾウに乗ったり、ガンジス川で沐浴したり、食中毒でやばいと思ったのはタイのリゾートにいたとき。スクーバの免許を取得して帰国。

そして渡米。
お酒を日本食レストランなどに配達したり営業したりする仕事。
アメリカで一人暮らし。日本食レストランや寿司バーなどに営業に行き、お酒を勧めてる。研修中でお金もないので、外に飲みにも行けず、ハーレムで買ったブルースのCDを聴きながら、家で焼酎を飲む。
近所の子供とバスケットボールをして運動しておる。」




‥そんな彼の、これから「目指すもの」「夢」そして「伝えたいこと」とは。


「お酒の専門家として、ニューヨーク・タイムスから取材を受けること。
そして喜多屋の前掛けをして海外を飛び回る営業マン。

どうにかなると思うのではなく、俺がどうにかしてやろう。という気持ちを持つこと。

そのためにどうしてやろうか?どうなったら楽しいか?を考えるということ。

ワクワクしたほうが絶対に良い。楽しんだもん勝ち。英語バリバリの営業マンってカッコいいやろ?」



‥彼との出会いは僕がまだ大学生の頃。二つほど部屋が隣の人と彼は仲が良く、よく外の駐車場でキャッチボールをしていたのを横目で眺めてました。
学年も違えば、ゼミも同じわけでもなく、特に接点もなくて関わりはなかったのだけれど、何がきっかけで話しだしたかは思い出せません。

ただ面白い人だった。そして九州特有の話し方と大らかさと温かさがあった。きっとそこに惹かれたんだと思います。

彼が就職活動を辞めこの道を選んだこと。無理だとか現実的ではないって「周りの友達ほとんどに反対されたとよ」、と嘆いていたこと、
そして「でもお前は応援してくれて、後押してくれて、本当に嬉しかった。」と言ってくれたこと。この言葉をもらって本当に嬉しかったのは僕の方でした。今でも覚えてますか?


近くの誰かが「何かしたい」と動こうとしたときに、

「失敗するリスクを防ぐ」ことよりも、仮に失敗したとしても「失敗した後、支えとなり力となる。」

ことの方が傍にいる人のすべきことだと思ったから。
その気持ちは、数年経った今も変わらずこの胸にあります。

だから今、こんなにカズさんが輝いているのが本当に嬉しくて堪らないんです。


思い返せばあの頃。一つ上の方たちとは本当に親しくさせてもらっていて、人生で初めて人と離れるということを心から寂しく思い、
だから卒業していったその春に八女の実家まで遊びに行かせてもらいましたね。
あの数日は本当に楽しかった、そしてあのときもまた桜が咲き誇り綺麗なときでした。

あの頃が最初で最後の「人」と離れるということが悲しくて仕方がない「寂しさ」を覚えたとき。

今はもう「人」と離れたとしても、「会いたい人」「会うべき人」とはまた必ず「会う」し「会える」ということ、たくさんの人たちに教えてもらって、またそう信じています。

シンガポール、遊びに行くと言っていたのに行かなくて本当にごめんなさい。だからニューヨークは必ず行きます。

僕もカズさんに負けないように、あの頃よりも成長した姿で、輝いて、胸を張って、




そして会いに行きます。









「カズ・・・アメリカン・ドリームぜ。早く俺を楽にさせろ。」
そう真顔で言う親父を尊敬しておる。

Kazuhiro Kinoshita

3 件のコメント:

  1. 相変わらずどの方も素敵

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  2. 皆ほんと良いですよね、こうやって書かせてもらってると本当に自分自身会いたくなります。

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  3. 最近、このブログを知りました。
    この木下雄大さんは、彼がシンガポール在住のときに、私が家族旅行でシンガポールを訪れ、たまたまお会いしたとても素晴らしい方でした。
    他の方の紹介もとても、興味深く読ませてもらってます。これからも楽しみにしています!

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